Personal memory 1

犠牲の上に成り立つもの

最初の合図は22才の誕生日の少し前。社員旅行でハワイに行く直前でした。その1ヶ月前から目が見えにくくなり通院していたのですが、症状が改善しないので大学病院を紹介されました。すると「網膜剥離」であること、すぐにでも手術しないと失明することを告げられました!

翌日緊急入院し、その翌日には手術を受けました。

この頃、2年くらいつき合っている彼がいました。わたしにしては珍しく長いつき合いですし、このまま結婚するかも、となんとなく感じていました。

入院中というのは退屈なものです。患者同士仲良くなり色々話をします。眼の病気は老人が多く、みんなわたしのことを孫のように可愛がってくれました。そして、彼と早く結婚して幸せになるようにアドバイスされたのです。

眼の病気は再発の可能性もあります。デザイナーなんて仕事を続けるより女は家庭が一番・・・もちろん、よかれと思って言ってくださったのです。でも、わたしはすごく反発しました。まだ会社に入ったばかりでしたし、大きな夢に向かって張り切っていたのですから・・・

退院してから複雑な気持ちでいました。そして、だんだん彼に対して冷たい態度を取るようになっていきました。やがて浮気をして彼を捨てました。彼は許してくれましたが、わたしは別れる口実にしたかっただけなので聞く耳もちませんでした。

最低の行為をしたと思っています。その証拠に浮気相手の男性もすぐに捨てました・・・平気で人の気持ちを踏みにじる嫌な女でした。心の中では混乱し、でもそうするより仕方がなかったのです。

幸せになりたくなかったのかもしれません。こういう幸せではない、別の幸せが欲しかったのだと思う。両方手に入れる選択もあったと思うのだけど極端な性格なのでしょうか、そうは思えなかったのです。

それにノストラダムスを信じていたので、結婚して子供を持つという普通のことをして、失う苦しみを経験したくないとも思っていました。やっぱり変だよね(苦笑)

でも、仕事は順調に思うように展開していくのです! 入院したことにより会社はわたしの仕事のペースを尊重してくれました。そして、よりよい環境を用意するべく本社である東京に転勤するように言われたのです。ケガの巧妙というかラッキーと思いました。

会社では、わたしの直属の上司である先輩がハードな仕事を課し、わたしを潰そうとしていると考えていたようでした。そんなに評価されているのかと嬉しくなりました。実際本社勤務になり一つのブランドを任され、その先輩と対等な地位につくことができたのです。

この時わたしは思いました。やっぱり結婚より仕事だと(笑)

失明するかもしれないと言われた時、どんなに自分にとって見るということが大切なことなのかわかりました。他の感覚よりなによりそれは必要だと思ったのです。絶対に失いたくはないと強く願いました。そのためには何かを犠牲にしても構わないとさえ・・・

たぶん、わたしは極端なんだと思う。何かを本気で望んだら、何かを諦めなくてはいけないと思い込んでいるのでしょう。その代わり、犠牲を払った場合、必ずいい方向へと進んでいく。無理にでもそうしているのかもしれない。

う〜ん、こんな能力どうなんでしょうね(笑) いいのか悪いのか・・・

でも、多くの人もこのパターンに陥っているような気もする。仕事が上手くいって財産を手に入れても家庭が崩壊したり健康を害したり、またその逆で幸せな家庭でも生活が苦しかったりする。早く気がついてパターンを手放すことができて両方のバランスが取れればいいのだけど。

そうか!だからオーラソーマと出会っていくのかも・・・?

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