Personal memory 2

トレーナーになる

ある時、その会社の無料説明会に卒業生としてコメントして欲しいと依頼を受け、自分が受けたソースのことを話すだけなので気軽にOKしました。良さを伝えたい、多くの人が参加して自分のソースに気づいて欲しいと真剣に思っていたので熱意は伝わったのだと思う。参加者にも大評判で、引き続きメインで説明会をすることになりました! 自分でも驚いたけどね。

そして、スタッフとして名簿管理や連絡業務なども臨時アルバイトとして雇われる事になったのです。最初はボランティアとしてコースに再参加させてもらっていたのが、先生にも気に入られて正式にアシスタントに指名され、益々多くの人達と関わることになりました。この年、年賀状を書く段階で桁違いに増えた知人の数にびっくりしたことをおぼえています(笑)

しかし、アシスタントをしているうちに自分の本来の目的からどんどん遠ざかっていることに気づきました。もしかしたら、先延ばししたいが為に引き受けていたのかもしれません。それに、先生のコースに参加すればする程、自分のいたらなさ、自信のなさに気づき先延ばし・・・の悪循環でした。

きっかけは、ある日突然やってきました。年末で先生の契約が終わったことにより、白羽の矢がこちらにやってきたのです。月イチで卒業生の会をする為に会社に来ていますし、不定期ではありますが何度か仕事を一緒にさせてもらっていたので他の人より頼みやすかったかもしれません。

気軽に「どうする?」と聞かれ、受けてしまいました(笑) 3月の上旬と月末に開催予定で、わたしは月末を、もう一人のすでに開催しているトレーナーが上旬です。まだ1回も 開催していないのに?と思ったけど妙にやる気になっていたのです。

そして、その場の勢いで3月に自主開催する日にちを決めました。担当の人もビックリ(笑) 果たして参加希望者は現れるのか?という不安もありましたが、でも、きっと大丈夫、という理由のない自信がなぜかあったのです。

それからは大変でしたが、しかし、すでに充分に流れは頭の中に入っていたので後は度胸だけと開き直っていたのかも(笑) どうとでもなれ!っていう心境でした。勢いで決めちゃったし・・・

また、先輩トレーナーの上旬のコースにスタッフとして参加できたのも大きかったです。先生以外の人が開催するのは初めて見たので色々な意味で勉強になったし、自分のやっていきたいワークショップのスタイルを再確認することができました。

この時は先生とのやり方の違いに反発したのですが、でも、その思いがあったからこそ、自分のスタイルが決められたのだと思います。あの当時は失礼な事を言ってしまったと今では反省しています。そのおかげで2度とアシスタントの話が来なくなったのは当たり前だけど、でも、結果としてはよかったのかもしれません(笑)

トレーナーとしては評価されるようになったので、まあ、全部がOKという訳にはいかないものだよね。本来のソースの方法というより中村先生のソースを正統に継承してやっていく!と強く思ったのだと思います。自分が受けた感動を伝えたい、ただそれだけでした。

そして不思議な偶然が起こりました。隔週で集まっている仲間の一人が 友人を一人連れて行きたいと言うので歓迎すると、その人がわたしのワークショップの参加者であることがわかったのです。彼女もすごくびっくりしていましたが、わたしの中では少し気持ちが楽になり、初回のワークショップを無事にやり遂げることができたのです。

反省点はたくさんあったけど、大事な部分は伝わったと思うし2日間楽しんでできたことで自信を取り戻すことができました。やればできるじゃん・・・本当にそう思った。そして翌週もワークショップを開催しました。だんだん自信がついてくる。大丈夫なんだって思うことができた。毎日すごく楽しかった。本当にソースの道を歩いているんだと実感できていました。ハイテンションで元気で・・・

結局1年半で15回開催し自然と終わりました。参加者でトレーナーになった方も数名います。これも、ある意味役目を終えたというか、自分の中で別の目標が見えてきたからかもしれません。できることは充分やったと思う。でも、もうワクワクしなくなってきたのです。だんだん慣れてチャレンジではなくなってきたからだと思います。

それに、トレーナーになることは過渡期のソースであることは始める前からわかっていたので何の問題もありません。人前で話すことは平気になってきたし本来の自分に戻りつつあります。次のステージ・・・

ソースの部分はとりあえずこの辺で。次回はワークショップ繋がりへ

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