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義務教育の役目            2013.10.19 SAT

今月から放送大学に入学し少しづつ学び始めていますが、目から鱗のことばかりで驚いています^^

自分がいかに物を知らなかったか!と思うと恥ずかしい気持ちでいっぱいになったり、一生懸命正当化しようとしている自分に気づき更に情けない気持ちになったり・・・

でも、やはり事実は事実。知っているつもりでも明確に定義したり表現できないのだとしたら知らないのと同じ、むしろ知った気になっていただけ愚かしいということかと手厳しく振り返ったりしています。

これでも昔は・・・と過去の栄光にすがり付こうと一瞬思い慌てて首を振る、そんな47歳でございます^^

もちろん専門分野に関しては当然楽々クリアーです。同系統の本を読んだりセミナーや講義を受けたりは欠かさないので問題はありません。たぶん多くの方も同じだと思います。

問題は今まで特に専門的に学んだことのない分野なのです。私の場合は教育学になります。

インナーチャイルドセラピーを行っているので子供側からの視点はよくわかっていますが、それは自分も同じ様に子供時代を通過しているから当然です。

しかし教育する側の視点を正直ちゃんと学ぶことはありませんでした。子供を産んだこともないので親になったこともありません。

インナーチャイルドセラピーをする上では逆に利点であると考えていました。それは、親になったことがないからこそ永遠に子供の側に立てると考えることもできるからです。

まあ、結果論であり、これも自己正当化の一つであることは否定しませんが、同じ立場に立たないから理解できないと主張するのも偏っていると思うのです。

どちらが正しいとかそうではなく、どちらも選んだ側(意図的ではなくても)の道を信じて進むということです。たぶん、どちらも正しいのです。自分の流れを正当化していくことにも責任が伴う以上間違ってはいません。

それぞれの運命の中で起こる学びを、それぞれがクリアしていくことです。

でも、それは成人した大人であれば・・・という条件がつきます。

未成年のうちは自分で判断することはできません。なので親や周囲の大人が正しい判断ができるように導くということが教育に当たるのだと思います。

もちろん親といえども完璧ではありませんが、未成年の子供よりは社会経験がある分優れていると考えるのが普通です。

そして、親や大人は干渉するのではなく導くということが大切です。

正解を知っているからといって押し付けたり考える力を奪うのでは教育にはなりません。本人自らがたどり着けるように促す(導く)ということです。とても大変ですよね^^

でも、それができる様になった時、親も人として成熟していると思います。

お互い試行錯誤して完成を目指す・・・そんな感じです。

そうなると、やはり学校教育というものが大切だと感じます。親自身も成長過程にあるので共にサポートし合う専門家としての教師と、同じ目線で色々なパターンを見せてくれる生徒という仲間が必要です。

実は今まで当たり前に考えていて特に価値を見出していなかった学校というものに感謝の気持ちが出てきました。

義務教育なので当たり前・・・と思っていたのです。

でも、今、教育学を学ぶにあたり学校や教師の役割や地域の共同体のサポートなど、実は多くの恩恵を受けていたのだな〜と気がついたのです。

クライアントさんに先生や教育関係者が多いのも意味があって、その都度学ばせてもらっていたのだと今ならわかります。

点と点が一つになって線になる・・・まさにレイラインです^^

そして最後に何度も相互リンクの依頼のメールをくれた方にも感謝です。

この方は小学生の子供2人を連れて家族4人で海外を旅するフォトグラファーさんです。しかし今まではジャンルも違うし・・・と思いそのままになっていました。

でも、今回やっと、私個人の意見と反するので協力できないと返事をしようと思っています。理由はこの日記を読んでいただければわかってもらえると信じて・・・

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