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内側の光について           2013. 9. 9 MON

オーラソーマと離れて1ヶ月強・・・と言ってもボトルもそのまま飾っているし以前となんら変わることもなくセラピールームのエネルギーも保たれていると思います。

これは、やはり物質そのもの(存在)に力があるのではなく気持ちというか心の問題だったと改めて確認している感じです。

もちろん、綺麗なボトルを見たり飾ったりすることも大切です。でも、それに執着し過ぎていたり完璧に揃っていないとダメな気がしているのだとしたら、それはそれで間違っていたのかなと思えることもあります。

オーラソーマに出会うきっかけになったチャネリングで、私はこんな質問をしました。

「セラピストとしてやっていく為に自分の助けになるものはなんですか?」と

その時受け取った答えが『バランス』であり、その当時バランスボトルと呼ばれていたボトルをもしかしたら・・・とチャネラーから紹介されたのが始まりです。

ホントにずばり!という結果になって驚くと同時に当然だったなと思う自分がいます^^

スピリチュアルな世界へと開かれ数多くの神秘的な体験を通して一人前に成長させていただけたと思います。精神世界と現実世界、今では両方のバランスが自分の中で自然に取れています。

天使やマスターや精霊と呼ばれる存在も違和感なく特別でもなく共にあると思えますし、超現実的と思える感覚も普通に持っています。

だから、恐れることも特別視することもなくナチュラルに受け止めているので最近のオーラソーマの流れが不自然に思え距離を置くことに決めたのです。

でも、批判しているわけでもなく、ただ、今は違うな・・・と感じているだけ、昔はよかったと懐古趣味に走っているのかもしれないけれどね^^

だけど、この流れも偶然ではなく、今このような状況でなければ離れることもなかったので意味はあるのだと思います。

やはりティーチャーにならなかったのは正解でした。ティーチャーになってしまうと責任ができます。勝手に辞めたり抜けたりすることは道義上できません。

それに、やはり自分の本質・本業はセラピストだと自負していたからだと思います。自分にしかできない特別なものを提供する・・・これが答えです。

そう思うとますます自分の中で光が輝いているのを感じます。まるで呼応するかのように♪

自分のやっていることが正しければ必ず協力は得られるはずです。利己的ではなく他者のため、大きくは人類を超えた全ての存在のために役立つと信じることで毎日の営みに愛が溢れてきます。

特別な大きなことをしなくてもいい。目の前にあるやるべきこと、やりたいと思うことにエネルギーを注ぐ。それしかないのかな〜と思います。

そして、続けていくことで次の目標が見えてくると思うのです。努力すれば手が届きそうな何かが・・・

少し前に読んだ本で宗教学者の中沢新一さんが書いていました。暗闇で目を閉じていると光が見えてくる。その光を昔の人は神の光と思ったのだと。

多くの人は子供の頃はこの↑光が見えたけど大人になるとやがて見えなくなるそうです。

みなさんはどうですか?

実は私は常に見ることができます。と言うか他の方が見えないということを、この本を読むまで全く知りませんでした^^

でも、実際のところは誰にも見えているのでは?と思っています。ただ、それをそうと知らないだけ、特別なものと思わないだけだと・・・

この光が時に大きくなったり形を持ったりすることで様々にイメージを広げていくことができたりインスピレーションの元になっているのです。

でも、本当は仏陀によるとイメージを伴う瞑想はまだまだ序盤のうちで、それすらも超えていく【無】の状態が本当の瞑想なのだそうです。

今現在は美しい光のイメージが心地いいので留まっているけれど、やがて超えていくことを目標に努めていこうと思います。

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