Diary

メッセージは至る所に          2005. 2.28 MON

少しずつ日々の生活の中で理解が深まってくる。自分の人生に起きることで無駄なことなど何もない。チャレンジ&ギフトの意味がわかってくる。そして、それとともに感謝の気持ちと守られている感覚、自分は大丈夫なんだという安心感と信頼。

一連の流れの全貌が少しずつだけど見えてくるのは非常に面白い。やっぱり信じていてよかったと思う。でも、信じる?って何を?

自分は何を信じていたんだろう?

神様?でもないような気がする。と、いうか、そもそも日頃から意識して信じたり祈ったりしている訳では全然ないので、困った時だけ祈ったり助けを求めたり、または恨んだりするのもお門違いな気がする(笑)

勝手に見放されたとか言われても迷惑な話。だいたいどの神様の事を言っているのかと言う話にもなる。信仰を持たないくせに変だよね。そして、改めて自分が信じていることについて考えてみたいと思った。

信じるものと愛するものは似ている。わたしの場合は自然かな。生命そのもののドラマが一番感動する。二日間連続であるテレビ番組を見てそう思いました。

La Strada』は道の歴史についてのドキュメンタリーでした。予告CMを見た時から絶対見なければと思ったくらい期待し大満足だった番組です。

先月の日記にも書いたけど道についてなぜか惹かれ気になっていたのでシンクロ?と思っていました。太古からの道の成り立ち、意義、歴史、変化、道についてのドラマが興味深く美しく、そしてわかりやすく紹介されていて面白かったです。

あの時、日記を書きながら浮かんできた映像が再現されているようで正直びっくりもしました。なんで、あの場面が見えたんだろう?

それについては、よくはわからないけど、どこかの空間からイメージとしてシンクロして伝わってきたのかもしれないなと思う。思いのエネルギーは繋がっているので、そういうことがあっても不思議ではありません。

だから、どこかで誰かが悪意を感じたことで全然関係のない他人の意識の中に共鳴することもあるのです。もちろん、受け取った本人もなにかしら共鳴する意識状態だった場合に限りますけどね(笑)

でも、本当に偶然にしては出来過ぎなくらいシンクロしてました。サンチャゴの道についても紹介されていて「やはり」と一人納得していました(笑)

勘違いと思われるのも承知で言ってしまうと、やはり自分へのメッセージなのかなと受け取りました。

この世に起きる事、自分が見たり聞いたりする現実は自分のモノでもあります。誇大妄想?と自分で自分を諌める気持ちを手放しオープンになって受け取ることを許せば、世界はもっとメッセージを伝えてくれていることに気づくと思います。

もちろん、他人に言えば「変な人」扱いされる可能性もありますので秘密、でいいですよ(笑)

他人に納得してもらうことでも証明することでもないです。でも、自分自身には許可してもいいかもしれない・・・

ところでサンチャゴへの道、本当に行くことができるのか正直心配になってきた。未だに全然連絡がないので、そろそろ問い合わせ確認する必要があるかもしれない。

でも、その番組を見ていて実際は一ヶ月かけて歩く道程らしいのでホントのところどうなんだろう?と思う気持ちも浮かんできました。行きたいのか行きたくないのか。

本当にそのタイミングなのか正直迷い始めてきた。また、番組を見たことで少し満足できた部分もある。もしかしたら、この番組との繋がり、メッセージについての考察を得る為の出来事だったのかもしれない。色々な可能性を考えて少し混乱(笑)

まあ、でも、こういう風に考えたりする事も一部なのかもしれないしね。ホント深すぎて訳わからなくなる。でも楽しい♪

そして次の日に見た番組は完全なドキュメンタリー。『知床』の自然についてでした。生命の神秘はすべてにおいて素晴らしい。こういう番組をもっともっと見たいと思いました。

テレビや映像の世界にしか作れない感動の場面。こういうのは一度や二度、いや何度旅したところで見ることはできない経験です。

四季を通して生き物の成長と変化の物語。人と自然のあり方を問うような番組で映像も美しく感動できました。生きるということ、自然の厳しさ、摂理や道理も表現されていて素晴らしかった。

そして、あたり前だけど国内にも歩いてみたい道や見ておきたい自然がたくさんあることを思い出させてくれたのです。

それと同時にテレビの意義、番組の意義みたいなものをなんとなく感じることにもなりました。最近はインターネットとの関連もあり色々話題が尽きない注目のテーマでもあります。

また、わたし自身の体験でもあるけど少し前に某衛生放送番組で取材を受けた後、放映されたビデオを確認した時にも思ったことです。

すごくいい感じで製作されていたので紹介の意味も含め内容を文章でこのHPに載せたいなと思いましたが、敢え無く却下されてしまいました。まあ、仕方がないことだと常識の範囲で理解しようと思えばできるんだけど素朴な疑問も湧いてきました。

それは、テレビ番組って一回放映されただけで終わってしまうのは勿体なくないかな〜ということです。いくつかのドラマなどはビデオ化されたり再放送される事もあるけど、ほとんどの場合、見逃すとそれっきりになります。

でも、作り手側にしても本当は、もっと残したいとか多くの人に見てもらいたいはずだと思う。だけど滅多なことがない限り再び日の目を見ることはない。とっても残念な感じがする。

特集やドキュメンタリーなんて見てみないと面白いかどうかはわからない。ドラマなどでは、あらかじめ特集やメイキング番組が作られたりする場合ある程度予想がついたり、途中で今までのおさらいしてくれる番組があったり結構親切です。

でも単発のドキュメンタリーでは少ない。

確か以前ライブドアーの堀江さんが提案していた企画だったと思うけど(うろ覚えです)テレビ番組を後から見ることができると便利だなと思ったのです。

もしかしたら、わたしが勝手に、そう理解しただけで本当は全然見当違いだったのかもしれないけど、ネット上でダウンロードできたりしたらものすごく助かります♪

口コミで評判を聞いて興味を持った番組を後から入手できたら便利だよね。見逃すことって結構あるしビデオ録画を忘れることもある。

または、たまたま偶然見た番組がすごくいいなと思っても最初の部分を見逃していたりする事も多いし、友人に紹介したくても録画してないと感動を共有することもできない。

と、いうか、そもそも偶然見た番組を録画していることは絶対ないよね(笑) 普通録画していたら、それ以外の番組をチェックしているはず。でも、裏番組に当たりがあることも珍しくはない。

だけど、そうなると著作権とかの乱用になるのかもしれない。それにビデオが売れなくなるとかCMのスポンサーの問題とか利権も絡んでくるのかな(笑)

でも、そうは言っても個人で複数のビデオを所有するのもどうかと思うし、番組表や情報誌を見て狙い撃ちでしか選べない現実も不便だと思うのです。

衛生放送など別料金を払ってしか見られない番組を製作している会社からすれば、とんでもない事だと思うかもしれないけどね(笑)

でも、確かに歴史は動き始めている。どんどんいい方向へと変化していく事を信じて、この動向を見守っていたいと思う。なにか大きな流れが起きて賛否両論が沸き上がり物事の是非が問われる時は大切な節目なのだと思う。

個人的に好き嫌いというものあるけど、わたしは自分の中に賛成と反対の両方の気持ちが生まれてくる時は、すごく面白い体験だと受け止めています(笑)

ものすご〜く興味津々でこまめにチェック。新しい情報や状況に対する自分の反応が変化することを楽しむ。基本的には、あまりテレビを見ない人間なのにやじ馬と化す(笑)

ホント今すごく色々考えることが楽しい。メッセージを受け取ることも必要な時に起こるのだとすれば、テレビ番組にしても見逃した番組は見逃すだけの意味しかないのかもしれない。

後から得られることが情報をコントロールすることになってホントは意味のない行為なのかもしれない。そんな風に思うこともできる。むむむって感じ(笑)

まあ、どうとでも取れると言うことか。この世界を追求するに当たりホント善いような悪いような変に思う時が多々ある。単なる一つの反応だけで済まず必ず逆の発想と理解もできてしまう。二元性の統合の時が近づいていたりして・・・?(笑)

Past ---5

2005年リスト

About . . .

Information