Diary

わたしのセルフケア?         2005. 2. 3 THU

先週は毎日のように暗示的な夢を見ていました。面白いので夢日記も続けて書いていたので、実は毎日のように書き込むことも可能だった。でも、そうはしなかった。

それは、突拍子もないくらい不可思議な連続で、とても文章で書けるような展開でもなかったというのもあるし、正直自分でも消化不良だったのだと思う(笑)

毎回毎回示唆に含まれていて「なんで?」と思う間もなく次の夢を見る。一晩で2つも3つも見るのです。もちろん、目が覚めた状態で書き留めておき、また眠って別の夢を見る。

不思議と睡眠不足にはならず助かりましたが、自分でも脈絡のなさに困惑する始末。一気に色々な情報を受け取っているような感じでした。

このまま続けたらヤバいかもしれないと思う程(笑) そして夢日記を中断したら普通に眠れるようになりました。一体なんだったんだろう?

ひとつには自己暗示の力だと思う。夢日記をつけていることが動機となり積極的に暗示的な夢を見ることを自らに課す=見ることを許可する→能力の解放、つまり受け取るということかな。これはセラピーでのクライアントさんにも当てはまると思う。

催眠は自己暗示なので受け取る準備が出来ないと見ることは出来ない(見るという感覚ばかりではないけれど一応表現を統一します) 表面の意識では見たいと思っていても潜在意識では恐れを感じていたり、望まない場面が出てきたら嫌だなという思いがあったりする。

過度に期待し過ぎたり、場面をコントロールしたい気持ちは誰にでも起こりうることだと思う。あるがままで感じるのは理屈じゃないところが難しい。楽にできる人にはホントに簡単、シンプル♪(笑)

そして、自分でも意外だったけど、これが、わたしにとっての自己セラピーなのかもしれないと気がついた。もちろん日常生活でも多くの気づきを受け取れるようにはなったと思う。昔に比べたら大きな進歩。でも、時には刺激を受けたり大きな気づきを得たりしてみたい!

その為の一つがパワースポットに旅をすることを引き寄せた。これは、まだどうなるのかわからないけど行けなかったとしても意味はあると思う。それと前後して夢を見ることによりメッセージや暗示を受け取ることにも気づいた。

セラピストってセラピーを受けているんだろうか?って気になるよね。タマゴのうちは色々なセラピストのところに通ったりワークショップを受けたりして自分自身を癒したり実験台にして技法を学んだりはしていると思う。でも、プロになってからは難しいような気がする。

物理的に時間が取れない(勿体ない)というのもあるし、実際自分が認められる信頼できるセラピストがどれだけいるか?という壁だと思う(笑)

プロだとわかると明らかに対応を変えるセラピストが多い気がする。どの程度のレベルなのか経験はどうなのか?とリサーチされる(笑) それに、受ける側のこちらも身構えてしまう。同じように相手をチェックしてしまうのです。

そして、イマイチと思うと心を開けない。かといって職業を偽って受けに行っても意味がない訳で、そうなると行くのが面倒になってしまう。ネットで色々調べても信頼できそうなセラピストはみつからない(笑)

・・・だって、そう思って自分のHPは今の形にしているんですから・・・残念!ですね。

業界を知れば知る程知識があるので判断する心は尽きません。横の繋がり縦の繋がり狭い世界なので見当はついてしまう。頼みの綱は宗教か海外(笑)?

でもセラピー業界に限らず、どの業界でも同じような気がします。以前デザイナーをしていた時も同じような悩みがありました。純粋にウインドーショッピングを楽しめない(笑)

素材や色や値段、ディスプレーに至るまで様々にチェックしてしまう。それも、ほぼ無意識です。

そして次にデザインに活かせないかと思ったり、わたしの勝ち♪と優越感に浸ったり(笑) まあ、同じことが起きるのだと思います。いわゆる職業病。

かといって自分が一番だと自惚れている訳でもないみたい。反省したり参考にしたりは普通にできる。出会った縁を大切にする思いは昔から変わっていないので反面教師でもお世話になっています(笑)

でも、自分が一番という思いで仕事をしないと相手に申し訳がないので常にベストは尽くしています。その意識が自分を成長させ、やる気を起こす原動力だと信じているので、それは変わらず持ち続けていようと思います♪

そうなると、何が問題か?

つまりピンとこなくなったという事だと思う。何に?そう、セラピーを受けるということにです。

もっと別の方法を見出せという合図かなと。する側に回ったら受ける側に回ることはできなくなる可能性がある。そうなるとセルフケアが必要になるよね。

そもそも信頼できるセラピストを自分以外に認めることができたら、その人はセラピストではなくなってしまうかもしれない。

極論になるのかもしれないけど、目の前にケアが必要な人がいて、でも、自分より上の人がいるのなら、その人に託すと思うのです。「自分でも、とりあえずいいか」と思うようなセラピストはいないと思う。

本当に相手を思うのであれば、その人が選んでここに来てくれたという事実を重要に考え、その人にとって最高のセラピストなんだと信じることが一番大切な気がします。

そうでなければ失礼だし事実そうなのだと思う。「正しい時に、正しい場所にいる」という言葉は真実なのだから。

そう思えれば、仮に上手く行かなくて別のセラピストを選んだとしても尊重できると思う。この出会いがあったからこそ次に進んだのだと思える。逆に別のセラピストを見限っていらしたとしても、変に気負うこともなく自然に接することができる。

わたしも、ずいぶん大人になったな〜としみじみ思う(笑)

昨年の今頃は某霊能者を批判したりしていましたからね。でも、あの体験も今では貴重に思います。だって、あの体験を通して自分はどう考えているのか、どう仕事をしていきたいのかが明確になったし方向性がわかったからです。

怒りを憤りを感じる時、それも何かの合図です。押さえず表現することで内側にある大切な思いに気づいたりします。今では、もっと大きな見方ができるようになり一段階クリアーした心境でいます。本当に感謝しています♪

そう、これも一つの気づきですね(笑)

わたしは、この日記を書きながら、どんどん思いが明確になったり意外なことを思い出したりしています。最初書く時とは全然違う展開になることもあり、正直これは日記と呼んでいいのかわからなかったりします。

「こんなこと書こうかな〜」とタイトルを決めて書き始め、途中で題名を変更することが多々あります(笑)

そして、最後に「やっぱり、こうなったのか」と感心したりします。ホント日記は面白いです。そして、これも、わたしのとっての大切なセルフケアですね!

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