Diary

夢を通して学んだこと          2005. 1.20 THU

今朝不思議な夢を見た。内容はどうってことない日常の延長みたいなものだったけど、そこから派生して気づくことが多く驚いています。ちょっと長文になりそうだけどまとめてみます。

主役は妹の子供達(8歳の姪と6歳の甥)です。最初の場面は姪が学校から何かを用意するように言われ、でも、それが何なのかよくわからないというところから始まります。

正式名称はあるんだろうけど憶えていない。一生懸命形を説明してくれるんだけど誰もわからない。

結局はなぜか神社でお払いしたりする払い棒?みたいな物かもと見当をつけ、わたしが探し出すという展開でした(笑)

その間かなり時間も経過し、焦り、くり返しダメ出しをもらったりイライラしつつも最後には目当ての物に辿り着く・・・という、めでたしめでたしのストーリー。おまけに妹にも感謝され、みんなに誉められたりたたえられたりしてご満悦のわたしでした(笑)

その後、別の場面へ。少し成長した甥っ子が毎朝遅刻をくり返しているらしい。学校に行って叱られているかと思うとそうでもなく、なぜか学校でも人気者で先生にもひいきされている始末。本人も悪びれる様子もなく自由気ままに振る舞っていました。

どうやらアイドル並みにカリスマ性があるのか、学校に彼が来るだけで学校の評価が上がるというか特別扱いらしいのです(笑)

まるで腫れ物に扱うがごとくちやほやしていることに唖然とし、このままではダメな子になってしまうと強く思うのでした。なんとかしてあげたい、という感じ。

でも、わたしの言葉に耳を傾ける人は誰もいなくて絶望しているところで目が覚めました。夢なので多少変な感じもあるのだけど現実に則して色々思い当たることがありました。

姪は生まれた時から、わたしの子供の頃に顔が似ているのでとても可愛がっています(笑)

親戚や周りの人にも言われますし、妹自身その子と遊んでいると昔のやり取りをよく思い出すと言っています。そんなこともあり、また、その子自身わたしになついているので可愛いのだと思います。

年末年始などで毎年会うのですが、常に一緒にいたがったり、別れ際は無口になり哀しそうな表情でいます。素直に愛情表現してくれるので本当に嬉しく、できるだけのことをしてあげたいと心から思います。

反面甥っ子に関してはどうだろうか?

正直言うと苦手です。かなりやんちゃな男の子なので行動も読めないし手を焼きます。また、手がかかる分、妹の気持ちが彼に向いていることにも不安を感じます。

そんなことはないだろうけど、ふと見ると姪が淋しそうにしている気がして切なくなり、わたしが代りに構わなければ、という行動にでてしまいがちです(笑)

また、甥は本当に男の子にしては可愛らしい顔だちをしているので誰からも注目されます。ジャニーズにも将来は楽々入れそうなルックス。だから、こんな夢を見たのかもしれない。

夢は潜在意識を表します。日頃感じていること、薄々は感じていても意識していない領域に目を向ける必要がある時に合図をくれるのです。 

今回はこの夢から何を読み取り受け取ればいいか?と考えてみる。なんで甥が苦手なのか、姪との違いはなんなのか。大きな違いは自分に対する関心度があります。

姪はわたしを必要としている、でも、甥にとってはどうでもいいだろうという思い。好かれているかどうかは大体わかる。

小さいながらも相手は男性なので好かれていないと思うと無関心になるのかもしれない。子供は正直です。だから、わたしのプライドは傷ついているのかも(笑)

また、甥がやんちゃなせいで妹の関心が彼に向かってしまうことも腹が立っているのだと思う。カウンセリングをしているとインナーチャイルドとの関連が浮かんでくるので、姪は傷ついているのかも?と思ってしまう訳です(笑)

職業病なのかもしれない。実際淋しそうな表情を見ると、妹に気づいて欲しいと助言することもありました。おせっかいだとは思うのだけど姪を通して自分の過去のチャイルドを見ているのかもしれないとも思います。

わたし自身は結構平気だったと思っています。でも、やっぱり普通で考えたら面白くはなかったはずです。

親に甘えることを早々に諦め強く生きていこうと決めたので後悔はないし、わたしにとっては、それでよかったのだと思うけど、心のどこかで切ない気持ちはあったのかな。

物事には必ず両面があるから、得たものがあれば失ったものもあるのです。

だから、時にはそれを表現したり、ありのままに感じることを許す時間も必要なのかも・・・そう書き込んだら泣けてきた(笑)

やっぱり時にはその部分を感じる時間は作ってあげる必要はあるんだね。ひとしきり泣いたら、感情を感じることを許したら、また元の自分に戻れるからね。

誰が悪い訳でも、誰にどうこうして欲しい訳でもない。やはり自分です。自分の制限を時には外す。すると大事なことに気がつく。

そして、もうひとつわかったこと。甥に関する夢の部分。「このままでは、この子はダメになる」という思い、もしかしたら母がわたしに思ってくれた思いかもしれないなと思い当たる。

わたしも小学生くらいはできる子で周りからひいきされ、ちやほやされていました。親の関心を諦めた分のエネルギーを、わたしは世間に向かって使っていました。

いい子で優秀で礼儀正しく誰からもうらやましがられるような子供、そんな子を演じていました。誉められること評価されることを求め努力していた。でも、自分ではそれに気づかない振りをしていました。

ある時、クラスの地味な女の子に「大谷さんは努力家だよね」と言われて猛烈に腹を立てたことを憶えています。同じように目立っている友人に対して「彼女は天才肌」と評していたこととの関連もあったけど、正直見すかされたという思いがありました。

そして悔しかったので、その子を仲間外れにしてしまった!(苦笑)

だって、そんなこと言いふらされたりされたら迷惑です。なので早い内に潰しにかかりました。今では悪いことをしたな〜と思います。

でも、正直すぎること、痛い所を突いてしまう勘の良さは身の破滅・・・ということを知らせる役目だったと思うことにしています。やはり、それも縁だと思うので必然だったと思いたい。

人と接することは時には被害者になったり加害者になったりするけど、わかった時点で手放すこともできます。それは、きちんと意味を理解し、そこからの学びに感謝できればいい。お互い様だから・・・と思えれば許したり許されたリが可能になります。

さて話は戻る。甥に対して夢の中で感じた思いは愛情からきていました。自分の子供時代もダブっていたけど、正しくしつけることの大切さ、道筋を誤らないようにという懸念がありました。世間は勝手なもので調子に乗ると手の平を返すみたいに冷たくなることがある。

いい内はいい、でも、ずっとそうではない。そこで油断して人格形成ができないと中途半端なダメな人間になってしまう。

だから母は厳しかったのかなと思う。事実20才までは優しい言葉の一つもかけてもらえないと思っていました。これだけがんばったのに誉めてもらえない。

ハードルが高すぎて、ある時、もう、どうでもいいやと道を脱線したこともある。思春期の頃は自分を大切にすることが出来なくなり、つまらない遊びに耽ったこともあります。

でも、18才で独立を機に、わたしは変わった。専門学校での寮生活。もう反抗してダメな自分を見せつける必要もなく自分の責任で人生を切り開いていかないといけない。その心構えができたので軌道修正することができた。その頃から母も変わった気がする。

毎日顔を見合わせないせいか帰省した時は、すごく優しく接してくれた。心配してくれたり励ましてくれたり・・・。

「あなたのことを信じているから」という言葉が心に残り自制した生活ができたと思う。

すごく単純なんだけど、やっと理想の親子関係が始まった予感がありました。そして、それは今でも継続中です。

結果オーライならいいのかなと思う。それぞれの過程で学びがある、だから心配しないでいい。でも、歯止めとなり嫌なことを言ってくれる大人も必要。

大人の役割、親の役割ってそういうものではないだろうか。そんなことに気づいた。だから叱ること、しつけることも大切です。

大人になったら誰も言ってくれない。相手のことを思いやって言う苦言は、その時にはすぐに理解されなくても諦めてはいけない。受け入れるか反発するかわからないけど、それでもいいと思う。たぶん、いつかわかる時が来る。

ホントでも面白かった。一つの夢で多くのことがわかった。他人は自分を写す鏡であることを改めて感じた。身内であればなおさら同じ行動パターンを持っていたりする。だから、どうするって訳でもないけどね。

自分の子供でもいたら、もっと多くのことがわかるんだろうな〜とも思う。でも、逆に近すぎてわからないかも。それに、子育ては中途半端にできるものでないことを特に知っている立場なので覚悟が必要です。

人生賭けての学びになるので、その時は仕事をやめて専念し作家に転向しようかな、なんて思っています(笑) そんな日が来るでしょうか?(笑)

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