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偽善を憎む気持ち・・・         2004. 3. 4 THU

なぜだろう、昔からすごく気になっていた。「憎む」という感覚が伴うというのも、わたしには珍しい気持ち。自分自身、清廉潔白でもないしそんな気にすることでも・・・と頭ではわかっているのだけど。

昨日昼のドラマを見ていて、激しい感情がやってきた。ある女性が婚約中の幸せの絶頂期に次々と襲う不幸の数々にもめげず乗り越えていくドラマなんだけど、 父親の会社を立て直す為に、婚約者を妹に譲り、自分は金持ちの権力者のお妾になる・・・という話。

まあ、いかにも!っていうドラマなんだけどね(笑) ちなみに『牡丹と薔薇』です。

でも、腹が立ったのは、そうやって運命を受け入れる、犠牲者になるならなるで構わないと思うけど、最後の思い出にと婚約者と初めてHして自分のことを一生忘れさすまい、とした気持ちが許せなかった!

だって美しい思い出として一生彼を縛ることになるし、妹に対してもひどい。相手に対して話す台詞の数々もとんでもなく傲慢な気がした。本当に愛しているのだろうか?この瞬間から見方が変わってしまいました。

「潔くない!」と思ってしまった。確かに可哀想だと思うけど、だったら自分が犠牲になるような選択をしなくてもよかったのではと思うのです。それまでの幾つかの場面でも頑なまでに自分を貫く姿勢はなかなかと思っていたから余計にね・・・。

今後の展開としては、その婚約者と一度限りの契りでできた子供を巡って騒動がありそうです。まあ、ドラマなのでそうなっていくでしょうね。

問題はこのドラマの場面を見て激しい衝動がわき上がってきた事です。「偽善者ぶって・・・」そう、一見犠牲者に見える、運命を耐え忍んで受け入れようとしている、けなげ・・・でも、その実、周りを巻き込んで、とんでもないことをしていることに気付いていないだろうな〜

それは『白い巨塔』の里見先生にも通じるものがあると思う。両者とも正しいことをしているのでしょう。信念がある。ある人が里見は頑固なだけだと思うと言っていた。確かに意固地なくらい頑固だよね。でも、その頑固さは周りを巻き込んでいく・・・

わたしだったらどうするだろうか?何がベストなのか。もしかしたら見る立場によってどちらも正しいのかもしれない。自分のことを一番に考えてしまうのはいけないことなんだろうか???

わたしは、自分のことを一番に考えるのは悪いことだと思っていない。むしろ「自分が一番幸せになることが一番責任のある生き方」だと思う。

一番幸せになるということは、他人を蹴落してもいいことにはならない。だって、そんなことをする自分を幸せには感じないだろうしね。たとえ蹴落とさざるを得ない場面があったとしても、それを罪悪感と一緒にしなければいいと思う。

誰かの為に犠牲になるという考え方は好きではない。悲劇のヒロインになるのはやめようと思う。自分でそれを選んだのであれば、それに全うする、いい面に注目し恩恵を受ける方がずっといい。物事には必ずプラス面があるはずなのだから。

「偽善」を辞書で調べてみた。
--<本心からではなく、うわべを繕ってする善行>--岩波国語辞典

なるほど!と思った。確かに両者とも本心だとは思えないから嫌な感じがしたのかもしれない。ドラマを見ているこちら側には、本音の部分が見えてしまっている。誰に対して嘘をついているのか?

もちろん、自分自身に対してではないだろうか。里見先生は信念に則っているようにも見える。裁判で真実を告げなかったことを新米の柳原は悩み苦しんでいる。でも、真実ってなに?

自分の幸せや人生を追求してなにが悪いのだろうか?

確かにミスはあった。でも、人間は完璧ではない。それに財前には才能もあり得難い人材であることは間違いないと思う。そう言うとすごく冷たく人でなし!と思われるのも承知で付け加えれば、寿命などはすでに決まっていたのだと思います。

人にはそれぞれ役割があるとすれば、出会う人すべてが意味がある存在なのだと思います。不幸な出来事も起こることは必然なのかもしれない。そして、変えることができるのは自分の気持ち、反応だけだと思う。それをバネに伸ばしていくことができるか、それとも抵抗するか。

今のところ、財前に対して否定的な気持ちがひとつもない・・・彼は人間的で自分の能力を伸ばし磨いている。そして自分が幸せになる為に手段を選ばない。そんな生き方を全うするのもよしと思ったりする。だって世の中の為になっているし貢献しているからね!

力があるということはより多くのことができるということだから。まだ自分の力を活かしきれていないわたしには必要なモデルなのかもしれない、だからかな(笑)

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