I believe 10

今を生きる

グラウンディングは大切・・・スピリチュアルな世界に関わるものなら誰もが知っています。でも、本当のところを理解している人はどのくらいいるだろう?と思う。そう言うわたしだって頭ではわかっていてもホントのところはなかなか実感がわきませんでした。そういうものだ、とうなずいていただけだったと思います。知ったかぶりと言うかね(笑)

と、言うのも本当に大切なんだと気づくには、一度は地に足がつかない位の体験をしなくてはいけないからです。高揚して現実感がなくなり妙にテンションが上がる時もあれば、逆に現実逃避をして死にたくなるくらいの気持ちに襲われることもあります。両極端ですが共通してあるのは「今、ここにいない」ということです。

そこまで極端でなくても、もっとああだったらいい、こうだったらいいと思うだけで行動しない人や、希望を持つことを諦めてしまう人、無関心無感動でただただ毎日を送っているだけ・・・こんなことは誰にでもあることだと思います。決して特別なことではありません。

ある意味、毎日を意識的に充実して楽しんで生きていない人は今、ここにいません。かと言って無理して毎日忙しく行動する、ということではないです。身近な人や出来事に感謝の気持ちを感じたり、相手を労わったり一緒に楽しめる人は葛藤のない自然な状態だと思います。そういう人の周りはエネルギーが循環しているので気持ちよく楽でいられます。

もちろん常にその状態でいるとは限りません。人間である以上は様々なチャレンジは起きてきますからね(笑) でも、葛藤のある人に比べたら早めに抜け出ることもできるでしょうし、その体験から何かを学び、さらに素敵な人になっていると思います。わたしも常々そうありたいと願い努力しています♪

でも、そうでないからといって諦める必要はありません。逆に考えてみれば、今の状態の問題に気づいているからこそ、そこから抜け出せるチャンスだということです。ステップアップして葛藤を手放す時が来た訳だから喜んでいいと思います。

直面する時は辛いかもしれません。何年何十年と見てみぬ振りをしてきた現実に向き合うのです。見なければ、ないことと同じように済ますことはできます。もちろん本当になくなった訳ではないので混沌としたエネルギーは居続けます。そして、取り返しのつかない頃に爆発する可能性もあります。例えば病気になったり怪我をしたりショックなことが起きたりします。

恐ろしい脅しをしているように聞こえるかも?(笑)

でも今生でケリをつけなくても終えることはできるでしょうね。ただ死んだ後に人生をふり返る場面で自ら気づき後悔する事はまちがいないです。地獄というものはないので安心してください(笑) もちろん地獄らしきものはあるにはあります。でも、自ら望んで行くことを決めます。それは自分の魂に活を入れたり反省するためです。

誰が悪いわけでもないです。今生のテーマは様々なので簡単に見分けることは難しいです。でも、本人は深いレベルでわかっているはずです。だからこそ、そのことを表面化するために現実に色々問題が起きてくるのです。

そして、チャレンジは乗り越えるためにあります。

ここで一回りパワーアップするチャンスだと思えば、向き合ってみるのも無駄ではないでしょう。「起きることには意味がある」「偶然はありえない」と言われる所以です。そして乗り越えた時にこそ、この人生の秘密が一つ明かされます♪

今生をただなんとなく過ごしても悪くはないです。それを本人が自覚して望んで続けるのであれば、それはそれで素敵なことです。それに、それがこの人生のテーマかもしれませんからね(笑)

「休息の人生」と言ってもいいと思いますが、本当にそういう人生もあります。過去生退行をしている時にも時々見受けられますが、ハードな人生の合間にリフレッシュしたり充電するために幸せな平凡な人生を送ることはあります。

でも、その人生をふり返る場面で多くは「次は波乱万丈でもいいな」と思うみたいです(笑) だからこそ、次の転生である今生は色々あるのかもしれない、と腑に落ち今生を改めて見直す機会になったりします。そして、その人達は力強く今生のチャレンジへと戻って行きます。

この状態になったとき初めて、わたしは「グラウンディングしたんだな」って思います。現実を新たな視点で見直すことができ、その結果、今生を受け入れ立ち向かおうとできるのです。単なる操り人形のように色々なことをさせられている、と思っていた自分の人生を、誰のせいでもなく自分の意志でクリエイトできるのだと気づくことなのです。

操り人形は宙に浮いていますよね? それに魂が宿る感じかな。もちろん操り人形は今生の肉体です。そして、操り人形師が魂である本来の自分。両者が協力して行くことで本来の目的を目指すことが可能になります。人形師の方だって「思うように動いてくれない」って諦めていたのかもしれないしね(笑)

そして、もう一つの例え。俳優と役柄の関係です。役柄が今生の肉体の三次元の部分。性別とか職業とか役割とかになります。そして役者であるわたし達は演じている役柄が本当の自分だと思い込んでいることが多いです。だから、どうにもならない場面になると、その人物としてしか考えられず身動きが取れなくなったりしがちです。

でも、わたし達は役者です。俳優であり女優です。芝居が終われば素の自分としての現実もあるはずですよね。ずっとロングランで続いているお芝居かもしれないけど、たまには休暇を取って化粧を落として女優を離れてみていいと思いますよ(笑)

そもそも大抵、その状態を変えたいと望みながら変わることを恐れているのが人間です。役を降りてしまったら次の役がもらえないと心配しているのかもしれない。でも、もしかしたら、もっと自分に合った役が、もっと楽しめる仕事がやってくるかもしれないのです。自分の人生を信頼して手放すことができれば心配することは何もないです。善いように作用しないと困るので必ずそうするはずです(笑)

そして、たとえ同じメンバーが揃っていたとしても役柄を変えれば別の物語を演じることは可能ですよね? ある芝居では恋人同士だったとしても次では敵役だったり親子だったりします。テレビや映画で活躍する役者さんたちは、それを教えるために見せてくれているのかもしれない。そして、見てるわたし達も、それをあたり前のように受け入れていますよね。だから我々も同じだと思います。

それに、役者だけではなく監督も脚本も、プロデューサーや演出だって自分が兼ねている事もお忘れなく(笑)

無理だと思ったら無理です。でも、できると思えば今絶対不可能だと思うことを可能にすることだってできるのです。わたし達の力は半端じゃないくらいすごいですからね。現実を変えていく力を誰もが等しく持っています。そのことに気づくかどうかで今後の生き方が変わります。

そして、そのことをお伝えすることが、わたしの役目なのかなと思います。10年前に今生の使命は女優だと言われ戸惑いながら試行錯誤をしてきました。女優になる目的は「演じることを教えることで、その人が感情を表現したり葛藤を手放すことを助ける」ということ。

結局わたしは女優という職業は選ばなかったけど、なんとかギリギリ目的に近いことはやれているような気がします。むしろ女優をやっているよりも効率的かもしれません(笑)

運命は決まっているような決まっていないような感じ。でも、絶対やらなければいけない目的は、どんな手段を使ってもやり遂げるのだと思います。実際わたしは今の役割を通して、すごい充実感と魂が喜ぶ感覚を得ています。それは、すごく幸せなことだと思います。

もちろん大変なことも多くあるのかもしれないけど自分としては面白い部類です。たぶん多くの一見幸せに見える人達は、端から見たら苦労に見える苦労を、そうは感じていないはずです。だから幸せな人に見えるんだよね(笑)

ぜひ人生の秘密に気づいて自分のものにしてください♪

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