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さとりへの道

別に悟ることが人生の目的ではないと思うけど、スピリチュアルな世界では避けて通れない議題でもあります。悟ることができればすべてが解決♪みたいなイメージが絶対ある(笑) 例のように岩波国語辞典をひいてみた。

悟る・・・はっきりと理解する。見抜く。感づく。
覚る・・・(仏)心の迷いを去って真理を会得する。悟りを開く。

ちなみにさとりは会得した教えのことらしい。気づくこともさとり。2種類の漢字があることも初めて知った。使い方も微妙に違う。でも、パソコンの辞書では逆になっていた(笑) もちろん岩波の方が正しいと思うけど大丈夫なのかな〜 まあ一般に使われるのは「悟る」だと思うのでいいにしよう。

真理を会得する、の真理って一体なんだろう? たぶん実はそれぞれ違うんじゃないかなって思う。キリスト教の人であれば聖書だったり、イスラム教ではコーランだったりする。仏教徒も宗派によって微妙に違うと思う。何を信じるかによって違う世界。ここに極めりって感じ?

自分は何を信じているのだろうか、と少し考えてみるといいかも。何も信じていない人はいない。例えばお金持ちになるとか成功するとかでもいい。愛こそすべてと思う人もいる。改めて考えることが苦手であれば、どうなりたいか、どう生きたいのか問えばいい。

カウンセリングでも、ほとんど必ず聞くことにしています。何を信じているのか、どういう望みがあるのかの地点に立たない限り先に進むことは難しい。それは過去を含め、未来に希望し、そして今を知る必要があるからね。その人がどんな人なのかを知るためにも大切な質問です。

だけど答えそのものはそんなに重視をしていません。別にとってつけたようなカッコいい答えを知りたいわけではないからね(笑) 荒削りでも真実が含まれていればOKです。何を真実と判定するか?と言われると正確な答えはない。でもほとんど勘としか言えないけど言葉を発する時のエネルギーの中に何かを感じるのだと思う。共鳴する感覚なのかな。

そもそも出合うことに意味があると思っているので縁があって同じ時間を共有することで波長が合ってくるのだと思う。初対面ではぎこちない感じが数分でなじんでくるので相手のことがわかってきます。もちろん全部わかっているのか、と言えばそうではない。

数分で全部が見透かせたら怖いと思う。でも、セラピーで必要な部分だけでも合ってくれば充分なので大丈夫。見た感じではのんきそうに見えて結構集中しているのかも(笑) 自分でも時々びっくりすることも。

そんな感じなので、よく「悟っていますね!」とお褒めいただくことは多いけど、そんなことはありません。誰だって仕事中の集中力はすごいと思いますよ。一見不可能と思われた課題をクリアーしたり、いざとなったら火事場のバカ力が出たこともあるでしょう。

そもそも毎日通勤電車に揺られて何年も勤め上げていること自体尊敬に値します(笑) 主婦の方々だって子供を生み育てることは並大抵の努力ではできないと思います。他の人もやっているから・・・と謙虚になる必要もない。

少数は目立つからすごいと思っているだけだと気がつくこともポイントです。また、同じラインにいないから見えることがあるというだけです。日常の中にいても悟ることはいつでもできます。一番尊い行為は、普通のことをしていて、日常の中にあって愛を表現していくことだと思います。オーラソーマではマジェンタの色のテーマになります。神聖なる愛の光です。

そこに至るにはハートが開いていく必要があります。あるがままを見ていく視点です。色はグリーン。グリーンは真実の表明でもあります。また、道との関わりもあります。だから悟ることと関連しているのかもね。悟りたいという思いはハートを開くことと同じような気がします。真実がわかれば迷いがなくなるような感じだと思う。

でも、本当の真実に至るには様々な混乱も超えていかなければいけないかもしれない。お釈迦様だって悟りに至るには様々な試練を乗り越え修養の時が必要だったみたいだし(笑) でも、彼曰く「自分のような修行は必要ない」ということでお経を唱えたりすることで同じ境地に至ることができるということになっている。ホントかな?という気もしないでもないけどね(笑)

と、言うのも、やっぱり自ら体得していく方が実感できるのではないか?と思うからね。もちろん宗教を否定するつもりは毛頭ない。それで悟りに至れるのであれば、それはそれでいい。その人達が間違っているとか無理なんじゃないの?とは思っていません。皆が同じ方法なの変だと思うし、違う方法ではどうだったのか、あちらの世界に帰ってからシェアーしたいと思っています(笑)

すると自分はどうしたいのか?という事が少しわかってくる。全面的に受け入れられそうもない情報を得たおかげで、これはちょっと違うなと思うことができる。だから、一応一通りの宗教なり教えには絶えずチェックは欠かしません(笑) いいとこ取りしても善い訳だしね♪

ちなみに、わたしは実践したい派なのだと思う。色々な誘惑にも打ち勝って悟りに至りたいなと思う(笑) いつでも必ず日の当たる場所ばかりを歩かなくてもいいと思えれば人生は楽しめる。

例えば春夏秋冬。春や秋は誰もが望む季節。夏は好き嫌いはあっても好きな人には最高の季節。冬は寒いから苦手・・・と多くの人が言う。でも、やはり冬の時期の辛さも経験したい。だって辛いばかりでもないからね。

四季折々を楽しむみたいに善い面も悪い面も味わいたいと思う。それに悪い面を経験すればするほど浮上した時の喜びは大きい。そう思う人のために悪いことはあるのかもしれない(笑) また悪い状態を体験しても本質的な善なる部分は傷付かないことを証明したいのかもしれない。ダークサイドは誰の中にもあるのだから恐れているうちは完全ではないのだと思う。

映画「スターウォーズ」を見た事で繋がった感覚です。最新作は最新ではあるけど時代としては後になるという面白い展開で映画は完結しました。よって再度過去の三部作を確認するつもりでいます。こういう時間の同時進行状態は、現実でも普通に起きていることだと思います。スピリチュアルな世界の観念では時間というものはありません。過去も未来も、実はこの今の瞬間の中にあります。

過去を思い出すのも今がなければ無理ですし未来も同じです。自分が意識を向けない限りないということになります。

映画の話に戻るけど、ダークサイドに落ちることは不幸ではあったけど、でも、それがなければ感動的なその後の展開はなかったということになります。なにしろ今回のくだりで解決できそうな一番重要な場面で地に落ちてしまっています。でも、もし正しい行い(と一般的に思えるような)をしていたら物語は終わっていたはずです。それでは汎用な映画です。

そして予言は間違っているように見えて、でも結果的には成就しているところが暗示的でもあり希望が持てます。すべてが終わってからでないと本当のところは誰にもわからない・・・と気づいた人も多かったのではないかな。「フォースにバランスをもたらす者」「選ばれた存在」であるアナキン・スカイウォーカーに感謝♪

「スターウォーズ」を作る時、今回を除いて脚本は完璧に作られてはいないそうです。撮影状況に合わせてインスピレーションと共に変更しながら展開を決めていくそうです。あるチャネラーの話でも、彼の映画は作ろうとして作っているのではなく作られているものだということでした。あれだけ多くの人が感動したり何か引き寄せられている理由でもありますよね。やはり意味があって何かに気づかせるためにもたらされたギフトのような気がします。

こういう形で気づきをもたらしてくれるのかもね。そうすると自分のダメな部分、なんとかしたいという思いに気づき始めたことはいい兆しだということ。ホントは、そんな思いはしたくなかったし、できれば嫌な気分は経験したくない。もうクリアーになったと思っていたのに新たな火種がみつかったのだから困惑します。でも、それはOK、よかったねということになる(笑)

こうやって少しづつ悟りへの階段を登っていくのかな。もう、どの辺りまで来ただろうか?

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