Diary

空白の理由          2015.12.28 MON

結局瞑想したまま…ではなく、でも、こうして二ヶ月半ほど経ってみると、やはり偶然はないのだと思った。

なぜ、前回の時、あんなに感情的になったのだろう?なんであんなに失うことを特別に思ったのか?答えはこの空白の二ヶ月間にありました。

ちょうど今から二ヶ月前、前回の日記の10日後のこと。ひょんなことから5年近く音信不通だった友人達と再会することになったのです。

全く縁もゆかりもない他人同士が偶然出会い、交流し、もしかしたら永遠の付き合いになることもあるという不思議な仲間達です。

音信不通になっていても、どこかで繋がりを感じている、そんな感じ。だから回数よりも時間よりも濃い何かがあるのだろうな〜と思います。

今回集まることに決めたのは、メンバーの一人が結婚すると偶然知ったから。おめでたい話だったのです。

でも、盛り上がって終わり際に「そういえば…」と伝えられた話を聞いてビックリしました。なんと!当時仲が良かった2名の男性がガンで亡くなっているというのです。

年齢的にも決して早すぎる話でもなかったけれど、それでも衝撃を受けました。それに、お葬式に呼ばれなかったのには理由がありました。

実は、そのうちの1名は、以前この日記にも書いたことがある男性で、当時些細な行き違いがきっかけで距離を置いた人だったのです。

あの時は、そのうち時期が来ればわかってもらえる時が来るだろうと、積極的に修復しようとはしなかったのです。まだいくらでもチャンスはあると思っていました。

でも、結局その時は来ず、永遠にわだかまりが残ったまま先に逝かれてしまいました。仲が良かったころは弟のように思っていたので残念でなりません。

その後、喪に服していたわけではないけれど、なんとなく気が進まなくて日記も書けなくなっていました。

自分の中で、どう処理をつけていくのか見当がつかなかったのもあります。ネガティブなことを書いてしまいそうで、上手くまとめる自信がなかったのも本当です。

それに、前世療法セラピストとして、どう向き合っていくのがいいのか答えが出せないままでいました。

以前から、自分にとって大切な人の死と向き合ったとき、どうあるべきか何度も考えていました。親族については、それなりに覚悟はできていたと思います。

でも、自分よりも年下の人の死については、まだ考えてなかったのです。それも、誤解されたまま先に逝かれてしまった、本当は仲直りしたかった人に対しては・・・。

親しい人の死は、大切な何かを教えてくれる存在だと言われています。だから、真摯に向き合う必要があると。

今回思ったのは、先延ばしにしてはいけないということです。今度はないかもしれない、と思って日々全力で向き合う。

実は、仕事で人間関係に悩むクライアントさんと会う時は必ずお話ししていることがあるのです。

常に【今日が、その人の最後の一日だと思って接すれば、誰にでも親切にできるし、本心から悔いなく接することができますよ】と。

…この言葉、全くそのまま受け止めて大丈夫ですね^^

人には言えるのに自分には使えない典型でした(苦笑)

本当に最後になるということがありえる、ということを実際に体験することができたという風に受け止めれば、ネガティブな経験ではないことになります。

きっと、そうですね。

やっと先に進めそうです^^

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