Diary

手放していく               2004. 3.22 MON

昨日急に別の本を読みたくなった。よくある事なので中断して本棚を探す。ゲリーの『光の十二日間』、あるサイトに昨年の冬至から第一の波が来ていると書いてあり気になったのでした。

アカシックレコードの正確な日時を読み取ることは難しいらしく改訂版も出ていますが、わたし自身はあまり正確な日時はどうでもいいと思っていたので気にもとめていなかったのです。

それに、「1995年から凄い変化が始まる」と予言されていたので、もうとっくに始まっている?と思ったり(笑)

でも、だからといって特にどうこうもなく自覚もなかったので確認の必要を感じたのでした。そして、最近やたら掲示板で書き込んでいる「大きな流れがきている」の流れは、このことなのかもしれないと思うに至りました。

うーん、もしかしたら、大精算をしているのかな〜なんて。

個人的な記録は、今までの自分をいいことも悪いこともありのまま受け止めようとしているようですし、なんらかの答えを導こうとしているように思える。この本に書かれている「葛藤を手放す」という行為なのかもしれない。

そしてあるページで涙が溢れてきた。動物達との関係のところで、わたしは、まだ手放していない思いをみつけることができた。

個人的な記録でも後で触れると思うけど、ソースというワークショップでわたしは、自分のソース(源)のエッセンスの中に「小さき者、小動物」があることを発見した。他にも色々あるのだけど、すごく意外に思ったのですぐにハムスターを飼うことにしたのです。

自分のワクワクするものを見つけてそれをバランスよく日常に取り入れていくと楽しく生きられ人生そのものの質が変化していく・・・というソースの考えを実行に移し、嘘みたいに急激に望む現実がわたしの周りで起こり始めました。

シンクロやシナジー効果が頻繁に起きたのです。そして、それは「小さな一歩」がもたらしたもの、つまりハムスターとの出会いからでした。

他人が聞いたら「そんなことが?」と思うことでも、本人にとって「ソース」であればそれは力になります。事実わたしはそうでした。

だから、ソースを見つけるサポートをするトレーナーになりワークショップも開催していました。多くの人と出会い一気に花開いたような楽しい毎日だったのです。

1年半ほどたったでしょうか。ワークショップの初日に体調を壊しました。真夏の暑い日だったので昼食に食べた肉に当たったのかも?と思いましたが、中止する訳にもいかず気合いで乗り切りました!

なにしろワークショップ中は妙にテンションも高くなり、わたし自身とても楽しんでいたのですから。

薬も飲んでいましたが熱が一向に下がらず(40℃近い熱)が3日間続き、意識ももうろうとしてきます。このまま死んでしまうのかも・・・と本気で思っていました。というよりも死んだ方が遥かに楽だと思える位苦しかったです。

3日目に少し下がったのでタクシーに乗り夜間の救急病院へ行きました。すると、なぜか平熱に下がっていて医者は本当だとは信じてくれませんでした。

夜間ですし明らかに迷惑そうな扱いで悲しくなりました。唯一年輩の看護婦さんだけが、優しく話を聞いてくれたのが救いでした。

家に帰ると案の定、高熱が復活し、なぜなんだろう?と思いながらも実家の母にSOSの電話をしました。もう遠慮している場合ではなかったのです。

心細く不安でしたし、自分一人でいたら自殺してしまいそうな怖れもありました。ベランダから飛び降りる場面が何度も浮かびました。

翌日すぐに母は来てくれてすごく安心できました。苦しかったのであまり話すことはできませんでしたが、心強く、落ち着いて眠ることができました。

その日の夜、眠る前に別室に避難させていたハムスターの様子を見に行きました。すると、滑車に挟まれてじたばたしているのです!

とっさに外したのですが、熱で力の加減がおかしかったのか、過って手が千切れてしまったのです。わたしは、どうしていいかわからず、そのまま放置してしまいました。あまりのことに動揺し、母に「どうしたの?」と聞かれても「なんでもない」と答え眠ってしまったのです。

翌朝わたしは救急車に運ばれ病院で点滴を受けていました。診断は急性腸炎でした。ちゃんとした処置を受けたことにより体調は安定し、午後には家に帰ってきました。

そして、落ち着いてきたのでハムスターのいる部屋へ入り呆然としました。そこには冷たくなった姿がありました。

母はハムスターが、わたしの病気を持っていってくれたのだと慰めてくれました。でも、わたしは自分が見殺しにしたことを知っていたのです。あの時病院に連れていってあげたら助かったかもしれない。

でも、わたし自身苦しかったしそれどころでなかったのも事実です。自分の足で病院に行ける力も気力もないくらい衰弱していたのです。でも、許されることではなかった。

それに母にも本当のことを言えなかったのです。自分に罪があることを充分承知していたのですから・・・

その後、感謝と共に手厚く葬ることができました。母がいてくれてよかったと心から思いました。自分一人では抱えきれないくらい悲しかったのです。

すごくそのハムスターを愛していました。わたしを心から信頼し癒してくれるパートナーでした。どんな時も見ているだけで幸せな気分になれました。だから、きっと、やっぱり身替わりになってくれたのだと思えるのです。

あの夜、夢の中で天使のヴィジョンを見ていました。輝く光に包まれて、わたしは、もう、そっちへいく時期だと感じていました。高熱が4日間も続きもう限界でした。母もいるし看取ってくれるという意識もありました。

楽になりたかった・・・でも、次の瞬間、「けっ」と振払われた感覚があり急に遠ざかっていきました。

高熱が見せた幻覚だったのかもしれないけれど、もしかしたら・・・という思いもしています。そして、それを助けてくれたのはハムスターのりっちゃん。そうだよね、きっと。わたしのこと許してくれるよね。ごめんね。

この時は、まだその罪悪感を手放すことができなかった。だから、子供を持つことも、他人と積極的に関わることもできなくなっていきました。ソースのワークショップにも力が入らなくなって事実上休止。セラピーでもどこか距離をもつようになっていったように思う。

自分は最後は裏切るかもしれない・・・という思い。自分の精神や体調のバランスが取れなかったり、自分に余裕がなかったら誰かを傷つけてしまうかもしれない。全力で受け止められないかもしれない。

でも、今、やっとわかったことがある。

りっちゃんは幸せだったと思う。いっぱい愛したし、遊んだし、あの日々に嘘はないから・・・不幸な事故ではあったけど、もう許してもいいかもと。たぶん、このまま苦しみ続けても彼女は喜ばないと思う。

そして、これに気がついたのは、つい先日のセッションを思い出したからです。同じ様に自分を責めていた過去世の女性がいました。マスターリーディングの中で、女神のエネルギーと繋がった時、愛の光とともに彼女を包んでいたエネルギーの源からのメッセージ。

「もう手放していいのです。苦しまなくていいことを彼女に伝えて」でした。

そして、それはわたしへのメッセージでもあったと。その間、すごく心地いいヴァイブレーションに包まれてとても幸せでした。

やはり偶然というのはないのかもしれない。縁のある意味のある人達と繋がっていく・・・・やっぱり人生はすばらしい!!

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