Diary

批判的精神について考える       2004. 3.11 THU

日記を読み返してみて思った。なんだか批判ばかりしている自分がいる。そして、やっとわかったこと。批判は自分を知るための行為なのではないのかな?って。渦中にいる時は全然わからなかったけど、やっと岸辺に辿り着いた気がしているので少しまとめてみようと思う。

誰かを批判したり非難する時は、必ずといっていい程「自分ならこうする、こうはしない」とか「常識で考えたらこんなことありえない」「すっごく嫌だ」「信じられない」etc.という思いがあるように思う。

それに、その人自身がどうこうというよりも、その人の発言や行為に対して起こる反応なのだと思う。だから、きっと、その発言や行為の元となる記憶は自分の内にあるのかもしれない。それによって思い出すのは過去の誰かであったり、自分の行いであったり・・・

わたし自身について考えてみた。ある霊能者の言葉を読んで起こった思いはこんな感じ。身体中がわなわなと震える感じがした。とんでもないごう慢な発言だと思った。皆を騙し支配していると感じた。

そして世間は彼女を受け入れている、正しいわたしは・・・みたいな怒りだったように思う(笑) 今思うとちょっと恥ずかしい。

つまり、わたしは自分が認められていないという事実に不満があっただけだと思う。でも、それだけの努力をしているのか?というと、そうはしていないことを自分が一番よく知っている(笑) だから余計はがゆく自分自身に対する批判でもあるのです。

もし、充分にがんばっている、やれるだけのことをやっていると思えたなら、こんな思いを抱えなくていいのだと思う。それに、全力で取り組んでいたら、他人を批判するひまもないでしょうし・・・

「人を呪わば穴2つ」という言葉もあるように、やっぱり自分に返ってくる。他人を批判するのはよくない・・・・・とは思いません(笑)

わたしは悪いことが本当に悪いことだとは思わない。気がついて活かせばいいことを知っています。自分のなかで起きた好ましくない感情でもきちんと向き合ってみれば今後にプラスになると思うから。

何かに反発したり批判したくなったら、まずその気持ちをなにかに表すといいと思う。そして、「じゃあ、自分はどう思っているのか?」と考え自分の意見を出してみる。

いいとか悪いとか判断は後にして、ともかく思う限りのものをスッキリするまで書きなぐってみるといい。誰かに話してもいいけど、渦中にあって今後の対応とか考えて制限してしまうようなら、プロに任せた方がとことん追求できるかもしれない。

でも、どちらにしても自分を知る手がかりは得られると思う。自分はこんな風に考えていたのかということを知るのは驚くことも多いけどね。わたしも、今回の体験でこういう真実が隠れていたことを知った(自分で認めることにした)のは、少し痛い思いがあります(笑)

いっぱい墓穴を掘っていたことにも気がついたし、周りを巻き込むこともある。申し訳ないなという気持ちもあるけど、やっぱりそれも含めてご縁なのではないか?と思ってみたり(笑)

それに、誰かを傷つけてしまうこと、自分がそれによって傷付くことを恐れたら、本当の人間関係を結ぶことなどできないかもしれない。

その根底にあるのは愛なのではないかと思う。

悪意がなくても誤解から悪と受け取られることもある。人はその時々によって受け取り方は同じではないし間違えることもある。そして間違いを、そうとわかっていても正せないこともある。でも、正したいと本当は思っていると思う。だから、それを許してあげると素直になれる。

罪を犯していない人などいるだろうか?

自己嫌悪に陥ったことのない人もいないと思う。だから、他人の振る舞いの中に自分の傷を見て苦しむのかもしれない。状況は違っていても、同じように罪の意識があるならば、やはり批判は自分の最も痛い部分に反応するのだから。

今度誰かを批判したい気持ちがやってきたら、自分の内側を見ようと思う。きっと癒されたい思いがあるかもしれない!

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