I believe 3

哲学との類似点

イメージについて色々どう表現しようか模索していたら哲学にたどり着いた。わたしの思っていることが遥か昔に書かれていたことを知り不思議な気持ちと、やっぱりという両方の気持ちがある。基本的に哲学的な思考をしていたのかもしれない。正直信じられないけど事実だから仕方がない。本を読むにつれ鳥肌が立っている。そうなんだという思いが内側でも響いている。たぶん、やっぱりそうなんだろう。認めた方が簡単(笑)

と、言っても本格的な哲学書は読破していません。まずは簡単な手引書の段階。なにしろ名前はなんとなく聞いたことがあったり思想の有名な部分はどこかで聞いたことがあったとしても正確には体系立てて学んでいないので当然です。知識を整理して分類しておく必要がありました。そして一通りわかった段階で本格的な学習を進めて行こうと思っています。

哲学は難しいと思いながらも以前から気になっていたジャンルです。でも、やはり難解な部分が多く退屈で挫折していました。「ソフィーの世界」がブームになった頃も一時調べたこともあったけど、やっぱり何冊か読んで諦めました。

今回再読したのは偶然?からです。たまたま書店で目にとまり「久しぶりに読んでみようかな」と軽く思えたからです。「この一冊で哲学がわかる!」白取春彦・著 ホントにわかるかな〜(笑)と思いながらも著者の本は以前も読んだことがあり好感を持っていました。

ちなみに「この一冊聖書がわかる!」です(笑)  文書がわかりやすいし相性がいいのかもしれない、またまた当たりでした。特に納得がいったのはこの部分「人生経験の浅い人には読み取れないもの」でした。以下引用します。

なぜ、若者が哲学書を読んで実感がわかないのか。人生経験が少ないからです。勢いだけで生きていかれる。迷わず生きていかれる。他人へと流す涙の量がまだ少ない。生きてあることが「希有」なことだと実感できない。云々、理由はたくさんあります。

とにかく、ある程度生きてみないと、哲学だって実感しにくい。なぜなら、哲学はたんに利口なやつの頭から生まれてきたものではないからです。自分の哲学を打ち立てた人は、必要があったから、このままでは苦しいから、哲学にはまっていったのです。

「この一冊で哲学がわかる!」白取春彦・著

目からうろこというか物凄く腑に落ちてしまった。ビリビリしびれまくってしまった(笑)

自分の頭の中であれこれ考えていたことに答えが得られた感覚。やっと準備ができたのかなと思う。必要なものを引き寄せた気がする。そして、この文章が、そのまま前世療法などのセラピーにも適用できるのです。

もちろん、単に年齢だけで判断できるものではないです。若くても経験豊富な人もいるし、年を重ねていても逆バージョンもありますからね(笑) どちらがいいか悪いかでもない。どちらもいい部分もあるし悪い部分もあり。でも、セラピーでは経験豊富な方が有利かなと思う。

セラピーにおける経験豊富ってどういうことだろう?と思う。どれだけ感情や気づきを感じられるかは、やはり、どれだけ喜怒哀楽の経験があるかどうかによると思う。体験後の理解の度合いだって全然違うのはあたり前かも。だって、日頃から色々なことを考えたり感じたりしている人の方が出来事を体験した時に受け取りやすい(そうだと思い易い)のはなんとなく理解できそう。

逆に鈍感と言っては失礼だけど動じなかったり感覚がマヒ状態で過ごしている人がセラピーの時だけ生き生きと体験できるとは思いにくい。もちろん、何らかの事情で感情を抑圧することになった理由が過去世にある場合もある。でも、すぐに、そのエネルギーが戻ってくることは滅多にないと思う。戻ってくることを許せば徐々に戻ってくる。でも、すぐにではない。

いきなり終わった途端に別人格に変わったら大変です(笑) 少しづつ薄皮を剥ぐように自分の感情に向き合えたりするのです。その方が自然。今までの自分の人生を確認しながら、少しづつ受け入れていく方が結果的には早く上手く行くものなのです。そうでなかったら、過去の人生、自分の人生を全否定することになる。そんなことはあってはいけません(笑)

だから、まず、セラピーを受けたいと思ったら、自分の感情を感じる経験から始めたらいいと思います。何が不満なのか、どうしたいのか・したくないのか、変わりたい部分・変わりたくない部分、好き嫌いも含めて書き出すなりしてみるといいです。自分でやって難しければ一度カウンセリングを受けてみるとコツがわかると思います。

自分がどう感じるのか、反応するのか、どういう望みを持っているのか、本当は一番わかっているはずの本人が一番わからなくなっている場合がけっこうあったり(笑) でも、コツさえつかめれば自分でもできるので便利です♪ 実はたいした秘訣があるわけではありません。簡単だけど説明しただけではわからない感じ。まあ、企業秘密ってことにしておきましょう(笑)

くどいようですが日記は書きましょう。誰に見せるわけでもないのでネガティブな感情も書いてすっきりできますし、後で振り返って自分の思考パターンもわかります。「喜怒哀楽日記」にしてくださいね。感情が書き込まれていない日が続いたら反省しましょう。

どんなにつまらないことでもいいから変化を感じとることです。全く同じ日なんて一日もありません。いいことばかり書く必要はないです。逆に悪いことばかり書く必要もね(笑) そして堂々巡りになっている日があったらチャンスです。しばらく色々考えて多面的に分析したりして記録します。

「今日は無性に腹が立った。○○は許せない。あんな言い方をしなくてもいいのに。悲しくなった。これではまるで△△のくり返しだ。もう、どうしていいかわからない。混乱。ムカつく。でも、□□はよかった。ちょっと幸せな気分になった。やっぱり××はいいね♪」

まあ、こんな入り乱れ状態の人は少ないと思いますが、わたしの日記も簡単にすると、このパターンだったりします(笑) 一日で全部は入っていなくても連作でこの流れはかなり近い?かなと思う。必ず感情部分は入っています。

と、いうか感情が動くようなことがない限り日記は書かないかも。ある種の心の叫びであったり、気づきを報告したい!という興奮や喜びを主に書いているのだと思う。それは、プライベートな日記であると同時にシェアー(わかち合い)の記録だからね。誰かに対してでもあるし、自分自身に対してでもあります。

自分の中にもう一人の自分がいる感じかな。自分であって自分でない自分と繋がっている感じ・・・って訳わからないですね(笑) だから、客観的な意識を持っているので物事にとらわれ過ぎなくなるから楽に生きていくこともできるし、感情にどっぷりはまる時もはまりたいからはまっていると自覚している部分があるから平気で感情を味わうこともできる。つまり、充分に人生をエンジョイし味わいつくすことができるということになります。

なんだか哲学関係の本を読んでいるせいか回りくどい表現になっているかも?

まあ、一時的に読みにくいかもしれないけど、そのうち統合してオリジナルのいい感じに落ち着くと信じて様子をみてくださいね。ゆくゆくは「哲学の小部屋」みたいなコンテンツを追加していくかも。ここに鍵がありそうです。でも、その為には専門書にも着手して熟成する必要ありなので数年後になるかも(笑)

まあ、何年かかろうとも、なんとなく手応えというか予感を感じる出会いがあって嬉しく思います。出会いというか再会ですね。だから、なにか少しでもひっかかったり気になることがあったら、まずはやってみましょう。やってみれば、そのうちわかります。

思いつきを信頼することが良い結果をひきよせる原動力になります。そして、そのことを証明するために自然とがんばることになるので、やはりプラスになると思います。実は、こうして公表することで、わたしも一歩進んでいるんですよ、ね?(笑)

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